2010年2月12日金曜日

般若波羅蜜多心経 訓読


般若心経の日本語書き下し文


このように わたしは聞いた


般若波羅蜜多心経

観自在菩薩は般若波羅蜜多を深めつつ行じし時
五蘊と見 その自性皆て空なると照らし出せり

舎利子よ
色は性にしてこれ空なり 空は性にしてこれ色なり
色は異ならずして空なり 空は異ならずして色なり
色はすなわちこれ空なり 空はすなわちこれ色なり
受も想も行も識もまたまたかくのごとし

舎利子よ
これ諸法は空相なり
不生にして不滅なり
不垢にして不浄なり
不減にして不増なり

これがゆえに空の中においては
色もなく受も想も行も識もなし
眼も耳も鼻も舌も身も意もなし
色も声も香も味も触も法もなし
眼界から意識界までもなし
無明から老死までもなくまた無明尽から老死尽までもなし
苦も集も滅も道もなし

智もなくまた得もなし
もって無所得のゆえんなり

菩提薩埵は 般若波羅蜜多によるがゆえに
心に罣礙なく 罣礙なきがゆえに
恐怖あることもなく 顚倒や夢想を遠く離れて
涅槃に究竟したまえり

三世の諸仏もまた 般若波羅蜜多によるがゆえに
阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり

ゆえに般若波羅蜜多は知れり
これ大咒なり これ大明咒なり
これ無上咒なり これ無等等咒なり
よく一切の苦を除く
これ真実にして虚ならざるがゆえなり

般若波羅蜜多の咒を説く 即ちに咒を説いて曰く
掲帝 掲帝 波羅掲帝 波羅僧揭帝 菩提僧莎訶

般若波羅蜜多の心の経なり


般若心経についての詩句

2010年2月1日月曜日

般若波羅蜜多心経 和訳


般若心経の現代日本語訳と補足解説


このように わたしは聞いた


般若波羅蜜多心経


沈黙の聖者 釈迦牟尼仏陀に 礼したてまつる


観自在菩薩が 般若という智慧の完成度を深化させつつ 慈悲行を行っていたときに
この世界は何かと見たときに それは五蘊という五つの集まりであると見られました
そしてこの五蘊の自性を見たときに 照らし出されたのが 空という真理なのでした



舎利子よ
色つまり身心の自性を見ることで空とは何か説明しましょう
肉体とは 眼耳鼻舌身意 のことです

肉体は不変ではなく常に変化している存在です これが空です
空とはこのように常では無いことです 
これが
肉体の自性です

肉体は和合することで存在し主体はないのです これが空です
空
とはこのように主体がないことです 
これが肉体の自性です

肉体にはこの様に本来固有の自性はないのです これが空です
空
とはこのように自性がないことです これが
肉体の自性です

他の四蘊である受想行識も同様に無常であり無我であり実相です
これが五蘊の自性を見ることで照らし出された真理 空 でした


舎利子よ
次は不二をもって三つの空のすがたを説明してみましょう

時間におけるすべてのものは
生まれて来る訳でもなく 又滅して行く訳でもありません
ただ過ぎ去るだけなのです

空間におけるすべてのものは
垢であるというはずも 浄であるというはずもありません
比べるべき本がないのです

諸法におけるすべてのものは
減らすものなどは何も無く 増やすものも何もありません
ありのままに在るだけです

諸法における空相(空のすがた)とは
諸行無常 諸法無我 諸法実相 です
真実であり ありのままのすがたです


空であるとはどのようなことでしょうか
身体も無くなり心の作用も無くなり 分別も無くなるのです

身心機能(色)である 眼も耳も鼻も舌も触感も心意も無いのです
感受作用(受)である 色形も声も香も味も感覚も思いも無いのです
表象作用(想)である 眼による想念から心による想念まですべて無いのです
意志作用(行)である 順観にそして逆観による十二因縁もすべて無いのです
認識作用(識)である 悟りに到る真理つまり四聖諦(苦集滅道)も無いのです


十八界(六根 六境 六識)という分別は消えたのです
真理(十二因縁の理  四聖諦)という得も消えたのです
分別知は消え去ったのです 得る所は何もないのです

空に目覚めたときに根源的な智慧 般若 があらわれたのです

遂に 無所得無分別智 という 般若 の完成に到ったのです

空性 諸行無常 諸法無我 諸法実相 を体得することにより
一切の物事に対する執着が消えたのです これが空を生きることです


観自在菩薩としてついに般若を完成するに到ったのですこの事により
心を覆ていた我執は消え去り 執着という煩悩は吹き消されたのです
恐れも不安も消え去り 顛倒した考えも夢想の念も消え去ったのです
安らぎの境地に到ったのです そして大悲の行も完成に到ったのです


すべての諸仏も そして我々も 般若を完成するに到る事が出来れば
この上なく正しく平等な目覚めを得て生きて行くことが出来るのです


すべてのものは等しく空相であり そこにはなんの妨げもありません
彼岸に到って自在に観れば真に世界は生命にあふれ美しいものでした


般若波羅蜜多というのは言葉の分別を超えた咒なのです

大いなる咒であり 大いなる明めの咒であり
この上のない咒であり 比類なき咒なのです
すべての苦しみを除く 真実の真理なのです


ここに般若波羅蜜多心の祈りの陀羅尼を唱えます
掲帝 掲帝 波羅掲帝 波羅僧掲帝 菩提僧莎訶


無所得無分別智の完成に到達したこころを終わる


「この世界は美しいものだし 人間のいのちは甘美なものだ」


般若波羅蜜多心と心訳についての詩句

2009年10月26日月曜日

般若波羅蜜多心経 心経


般若心経の展開と参考文献


このように わたしは聞いた

   マガダ語 パーリ語 サンスクリット語

   口頭伝承→口語成文化→文語成文化

 古マガダ語
釈迦の故郷であるインドのマガダ地方の東部方言
釈迦はこの地において古マガダ語で教えを説いた
初期結集は古マガダ語による詩句形式の口頭伝承

 古パーリ語
インド西部の方言初期仏典で主に使用される言語
マウリヤ朝のインド亜大陸全域統一と仏教の伝播
釈迦の教えがインド西部に広まった時初期仏典は
古マガダ語から古パーリ語に翻訳され成文化した
初期仏典の詩句部分には古マガダ語の影響がある

 古サンスクリット語
 (梵語) 大乗仏教・経典で用いられた公用語
古パーリ語の初期仏典こそが大乗経典の基礎です
古パーリ語の初期仏典から大乗仏教の思想と時代
に即した多くの大乗経典が梵語で編纂されました
初期の大乗経典には古パーリ語の影響が見れます


   般若波羅蜜多心経 構造

 「般若」
古パーリ語の「パンニャー」の古漢語による音写

 「波羅蜜多」
古サンスクリット語のパーラミータの古漢語音写
蜜の発音がミーツからミーに変化したことによる

 「心」
古サンスクリット語フリダヤの古漢語による意訳

 「経」
古漢語 意味は縦糸・経典 パーリの原意に同じ

 『般若心経』
現在の日本人により現代日本語による発音と解釈
無分別智慧の完成に至たる心髄本質を説いた経典

 般若
古サンスクリット語のプラジュニャーの古漢語音写
は(鉢羅枳嬢)であり般若は古パーリ語の(パンニャー)


   般若波羅蜜多心経 大乗

煩雑になった釈迦の教えを根本に立ち代えようとする流れ
時と場所に合った方法で釈迦の教えを広めようとする流れ


   般若波羅蜜多心経 伝播

 漢訳般若心経
鳩摩羅什(亀茲国)  摩訶般若波羅蜜大明咒経
玄奘(唐)      般若波羅蜜多心経
法月(印度マガダ国) 普遍智蔵般若波羅蜜多心経

 梵字般若心経
最古梵字 東京国立博物館所蔵 法隆寺貝葉経
 
 邦訳般若心経
元興寺智光  般若心経述義
最澄伝教大師 摩訶般若心経釈
空海弘法大師 般若心経秘鍵
道元禅師   摩訶般若波羅蜜
白隠慧鶴禅師 般若心経毒語註
盤珪永琢禅師 心経鈔

 邦訳の重要性
弘法大師は密教曼荼羅に基い真言をも注釈しています
盤珪禅師は仮名文字をつかって平易に注釈しています


 般若心経書籍(参考・引用)
中村元・紀野一義  般若心経・金剛般若経
中村元・奈良康明  仏教の道を語る
奈良康明      般若心経講義
金岡秀友      般若心経
松原泰道      般若心経入門
公方俊良      空海たちの般若心経
岸正利       虹が流れるように
中村佳子      「生きもの」感覚で生きる
中村元       龍樹
中村元       ブッダのことば-スッタニパータ
中村元       ブッダの真理のことば・感興のことば
中村元       ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経
中村元       ゴータマ・ブッダ 上中下
( J.Krishnamurti   恐怖なしに生きる 自我の終焉)
( Joho Lennon      Imagine)

   般若波羅蜜多心経 般若

般若波羅蜜多心経の経典は色なのです
般若波羅蜜多心経を感受し想像します
般若波羅蜜多心経の写経読誦は行です
般若波羅蜜多心経もその注釈も識です

心の対象がが止滅するとき ことばの対象も滅する
我が止滅すとき 分別も止滅する

大般若経では、第二分功德品第三十二に
「般若波羅蜜多」という語句・概念自体が
大明呪であると説かれています
大明呪とは言葉では言表わせないものであり
無分別なものです

般若心経についての詩句

2009年9月23日水曜日

般若波羅蜜多 Imagine


般若心経とイマジン


このように わたしは聞いた


君には分かっているはずさ

君には分かっているはずさ
天国も地獄も ないってことは
そこに空が 広がっているだけ
君には観えるはずさ みんなが共に
今この時を 生きているのが

君には分かっているはずさ
国家や宗教で 分けなければ
殺し合うことも ないんだと
君には観えるはずさ みんなが共に
穏やかに 生きているのが

君は僕のことを 信じていないのかい
でもみんなの気持ちが 変わったなら
君たちが僕たちと 一つになったとき
世界が一つになって 生きて行けると

君には分かっているはずさ
独り占めなんて できないと
欲望や貪欲は 僕たちにはいらない
君には観えるはずさ みんなが共に
世界を分かち合って 生きているのが

君は僕のことを 信じていないのかい
でもみんなの気持ちが 変わったなら
君たちが僕たちと 一つになったとき
世界が一つになって 生きて行けると

君には分かっているはずさ John Lennon

Imagineについての詩句

2009年7月8日水曜日

般若波羅蜜多心経  不生


般若心経の不生


このように わたしは聞いた

不生不滅と諸行無常


  顛倒夢想
  人は生まれ必ず死んでゆくこれを無常といいます
  生あるものは必ずや滅するこれを無常といいます

生存を常とみるから始めとしての生終わりとしての死をみるのです
自らの生と死をみた人はいません生も死も人が作り出した言葉です
生と滅のあることが無常ではなく生も滅もないことこそが無常です

  顛倒夢想
  人は一瞬一瞬変化しているこれを無常といいます
  朝の我と夕の我は違いますこれを無常といいます

これは輪廻転生です我を常とみているからなのです
生と滅を離れることが無常であり無我なることです
分別し二辺に分けることは個我を常とみることです

  顛倒夢想
  この世はすべて儚なく哀れですこれを無常といいます
  花が移ろい散るのは無常ですだからこそ美しいのです

常に執着するから哀れであり儚いと思うのです
花散る無常を常とみるから美しいと思うのです
常と無常とが顛倒していて無常をみていません

諸行無常
もろもろの事象はただ過ぎ去るものです
時間は共通でもなく一定でもありません
生もなく滅もなく縁起しているだけです

不生不滅についての詩句

2009年3月29日日曜日

十二縁起

このように わたしは聞いた

十二縁起
順観 逆観 成道
因 縁 果 報 中道


   生 老 死
これはすべての生命の本性であり真理です
しかしこの真理が人生の不安となるのです

   受 愛 取 有
これは生存における満たされない不安です
それは自我への満足であり安定と自尊です

   識 各色 六処 触
人が自己を認識するのは身体と心からです
この身体と心は本より自我ではありません

   無明 行
この不安を生む根本の原因は何でしょうか
それは間違った認識による無明な思いです


   順観

この世についての真理を知らない無明です
二辺に依らない智慧を持ってないからです

身体と心によって自我が形成されてゆます
他者と自我という区別が形成されてゆます

無常なものに執着し不変を求めもがきます
自己の満足と安定を求め不安がつのります

すべての生存について真理を悟ることなく
ついには不安のなかにただ迷うばかりです


   逆観

この世の真理を悟れば無明はなくなります
この真理とは無常と皆苦と無我のことです

身体と心に誤った自我を形成することなく
そこに自我の安定も自尊心も生まれません

相依するものに完全をもとめることもなく
無常なものに執着する思いも生まれません

この世についての何の不安も生まれません
それは寂静という静まった安らぎなのです


   成道

釈迦は中道四諦八正道四法印を悟り
十二縁起の順観逆観により成道した

順観逆観は順逆にして因縁果報なり
ここに縁起の理法がついに完成した


   中道

縁起とは四法印にしてこれ中道なり
縁起とは四聖諦にしてこれ中道なり

縁起とは無自性にしてこれ中道なり
縁起とは八正道にしてこれ中道なり


十二縁起についての詩句

2009年3月23日月曜日

初転法輪

このように わたしは聞いた

初転法輪
中道 八正道 四聖諦 四法印 三毒


   中道

ただ快楽を求め続けても心の平安は得られません
また苦行を行じ続けても心の平安は得られません
それは快楽や苦行が偏った行ないだからなのです

平安とは偏った思いを捨てることです
偏りのない行とは中道を行くことです
この中道のことを八正道ともいいます


   八正道

八正道の正とは中道の中です二辺に偏らないことです

正見とは二辺に偏らずただ見つめることです
正思惟とは二辺に偏らず思い考えることです
正語とは二辺に偏らない言葉で語ることです
正業とは二辺に偏らない行を続けることです
正命とは二辺に偏らないで生きゆくことです
正精進とは二辺に偏らず精進をすることです
正念とは二辺に偏らない思を念ずることです
正定とは二辺に偏らない心を定めることです


   苦諦
   諸行無常 一切皆苦 諸法無我

苦諦や一切皆苦の苦とは不満 不安定 不安のことです

すべての存在現象は恒常ではなく常に変化して行きます
形あるものは壊れゆくものです不変なものはありません

すべての存在現象に満足なものはなく不安定な存在です
相依相関の関係によってはじめて存在しているからです

すべての存在現象は無常な存在であり不安定な存在です
この存在には主体としての個我というものもありません
 
これらがこの世の真理であり生きることの不安なのです


   集諦
   煩悩 貪 瞋 癡 無明

なぜ生きることが不安なのかを明らかにすることです

人は不変を願い満足と安定を欲し自尊心を持ってます

無常なものに如何に執着しても欲望は満たされません
我の思いで満足を求めても怒りと恨みが募るだけです

このように煩悩を生きることが不安を生きることです
この世の真理を承知しないことが不安を生む根本です


   滅諦
   涅槃寂静

不安とは我であり我の外に不安はありません
煩悩とは我であり我の外に煩悩はありません

この世の真理を真理として身にしみることです
無常無我を悟り形成された我を捨去ることです

そして唯一無二の生命を生き生かされるのです
そのときこころは安らぎの中に静まっています


   道諦
   縁起 中道 八正道

それは縁起を悟り中道を歩み続けることです
これが仏陀の悟りへ到る聖なる道の教えです


初転法輪についての詩句