2009年3月29日日曜日

十二縁起

このように わたしは聞いた

十二縁起
順観 逆観 成道
因 縁 果 報 中道


   生 老 死
これはすべての生命の本性であり真理です
しかしこの真理が人生の不安となるのです

   受 愛 取 有
これは生存における満たされない不安です
それは自我への満足であり安定と自尊です

   識 各色 六処 触
人が自己を認識するのは身体と心からです
この身体と心は本より自我ではありません

   無明 行
この不安を生む根本の原因は何でしょうか
それは間違った認識による無明な思いです


   順観

この世についての真理を知らない無明です
二辺に依らない智慧を持ってないからです

身体と心によって自我が形成されてゆます
他者と自我という区別が形成されてゆます

無常なものに執着し不変を求めもがきます
自己の満足と安定を求め不安がつのります

すべての生存について真理を悟ることなく
ついには不安のなかにただ迷うばかりです


   逆観

この世の真理を悟れば無明はなくなります
この真理とは無常と皆苦と無我のことです

身体と心に誤った自我を形成することなく
そこに自我の安定も自尊心も生まれません

相依するものに完全をもとめることもなく
無常なものに執着する思いも生まれません

この世についての何の不安も生まれません
それは寂静という静まった安らぎなのです


   成道

釈迦は中道四諦八正道四法印を悟り
十二縁起の順観逆観により成道した

順観逆観は順逆にして因縁果報なり
ここに縁起の理法がついに完成した


   中道

縁起とは四法印にしてこれ中道なり
縁起とは四聖諦にしてこれ中道なり

縁起とは無自性にしてこれ中道なり
縁起とは八正道にしてこれ中道なり


十二縁起についての詩句

2009年3月23日月曜日

初転法輪

このように わたしは聞いた

初転法輪
中道 八正道 四聖諦 四法印 三毒


   中道

ただ快楽を求め続けても心の平安は得られません
また苦行を行じ続けても心の平安は得られません
それは快楽や苦行が偏った行ないだからなのです

平安とは偏った思いを捨てることです
偏りのない行とは中道を行くことです
この中道のことを八正道ともいいます


   八正道

八正道の正とは中道の中です二辺に偏らないことです

正見とは二辺に偏らずただ見つめることです
正思惟とは二辺に偏らず思い考えることです
正語とは二辺に偏らない言葉で語ることです
正業とは二辺に偏らない行を続けることです
正命とは二辺に偏らないで生きゆくことです
正精進とは二辺に偏らず精進をすることです
正念とは二辺に偏らない思を念ずることです
正定とは二辺に偏らない心を定めることです


   苦諦
   諸行無常 一切皆苦 諸法無我

苦諦や一切皆苦の苦とは不満 不安定 不安のことです

すべての存在現象は恒常ではなく常に変化して行きます
形あるものは壊れゆくものです不変なものはありません

すべての存在現象に満足なものはなく不安定な存在です
相依相関の関係によってはじめて存在しているからです

すべての存在現象は無常な存在であり不安定な存在です
この存在には主体としての個我というものもありません
 
これらがこの世の真理であり生きることの不安なのです


   集諦
   煩悩 貪 瞋 癡 無明

なぜ生きることが不安なのかを明らかにすることです

人は不変を願い満足と安定を欲し自尊心を持ってます

無常なものに如何に執着しても欲望は満たされません
我の思いで満足を求めても怒りと恨みが募るだけです

このように煩悩を生きることが不安を生きることです
この世の真理を承知しないことが不安を生む根本です


   滅諦
   涅槃寂静

不安とは我であり我の外に不安はありません
煩悩とは我であり我の外に煩悩はありません

この世の真理を真理として身にしみることです
無常無我を悟り形成された我を捨去ることです

そして唯一無二の生命を生き生かされるのです
そのときこころは安らぎの中に静まっています


   道諦
   縁起 中道 八正道

それは縁起を悟り中道を歩み続けることです
これが仏陀の悟りへ到る聖なる道の教えです


初転法輪についての詩句