2010年12月6日月曜日

般若波羅蜜多心経 語彙


般若心経の語句と説明


このように わたしは聞いた



 原語「ルーパ」の訳
 原意は「形あるもの」(変化するもの・壊れるもの)
 肉体(身と心) 眼耳鼻舌身意 色蘊 六根
 お互いに関係し合いながら絶えず変化して常住でないもの


 
語「シューニヤター」の訳
 原意は「なにもない状態」また数学の「零」

 空 空性 空なること 空の自性

自性(性)
 
語「スヴァバーヴァ」の訳
 原意は「自己自身の存在」「それ自身の存在」
 本性 本質 真如

不異
 ことならず ことにしない
 別々ではない 離れてはいない
 和合している 連関している 相互依存している 主体がない

主体
 中心になるもの 行為のもと

無常 (真理・真実論)
 この世はただ過ぎ去るだけで実体が無いこと

無我 (存在論)(大乗)
 縁起しているだけなのであり主体が無いこと

無我 (実践論)
(初期仏教/非我・大乗/
 我がものは何も無いと言うこと
 一切の物事に対する執着が無いこと


実相
 (実践論)
 無相が万物のありのままのすがたということ
 法性 如実 真如 無相 無性 仏性 
涅槃

涅槃
 (涅槃寂静)
 智慧により煩悩が消された寂静なる境地
 甘美心地よいこと心が安らいでいるさま


 真理 道理 道徳 仏法 (単数)
 すべての存在 森羅万象 (複数)

 それをそれとしているもの ダルマ
 (人を人たらしめているもの)

諸行無常
 すべての現象は過ぎ去るものです実体は無いのです

諸法無我
 すべての存在は縁起しているので主体は無いのです

諸法実相
 すべての存在はありのままに在り自性は無いのです

煩悩
 無知によって妄執や執着に囚われいるのこと 執着

無明
 真理を見抜く智慧がないこと
 又は生命における暗闇のこと

智慧 般若
 無常と無我によった中道なる智慧 無所得無分別智


無心
 妄想や執着を離れありのままに観る心

六根清浄
 身心という思いが消えて無くなること 身心脱落

無所得 無一物
 空の真理を理解し一切の物事に執着しないこと 空

無分別
 優劣は勿論同じであるともおもわないこと 公平

牟尼
 判断を停止して論争に加わらないこと 沈黙の聖者

四諦
 苦 思い通りにならないこと
 集 あるものが起こってくる原因 執着
 滅 流れてくるものをせき止めること
 道 中道によって生きもの・人間としての生きて行く道

六波羅蜜

 布施 慈しみと思いやりの心で生きて行くこと 利他行
 持戒 穏やかで慎みのある心で生きて
くこと 利他
 忍辱 感情の起こる本を知って生きてくこと 自
 精進 自分の信じた道を本気で生きてくこと 自
 禅定 心を落ち着け気を付けて生きてくこと 解脱
 般若 公平にあるがままの心で生きてくこと 解脱

本来無一物

「生きてゆくために不可欠な欲望は本来は節度の仕組みのなかにある」

無一物中無尽蔵
「かたよらない心 こだわらない心 とらわれない心 広く 
く もっとく」


般若波羅蜜多心経についての詩句


2010年8月9日月曜日

般若波羅蜜多心経 波羅蜜


般若心経の到彼岸と写真@別所温泉常楽寺


上田市 別所温泉 常楽寺 睡蓮 池 石舟 梵舟 到彼岸

到彼岸




妙観察智弥陀如来 別所温泉 常楽寺 般舟三昧 波羅蜜 般舟 到彼岸 睡蓮

妙観察智弥陀如来



上田 別所 常楽寺 般舟 梵舟 蓮+睡蓮=蓮華 大乗 美術館

睡蓮



天台宗別格本山 北向観音本坊 常楽寺
上田市 塩田平 別所温泉


2010年6月13日日曜日

般若波羅蜜多心経 空性


般若心経の空と0


このように わたしは聞いた


0と空とは

如何なる数字に0を足しても変わらず
如何なる数字から0を引くも変わらず
如何なる数字に0を掛けても0であり
如何なる数字でも0が割ることはない
しかも0はそれ自体ではただ空である

0はプラスとマイナスの真中にあるが
0に近づこうとしても無限に近づけず
0がなくては無限の数字は表記できず
0は総ての数字の根本に位置している
しかも0はそれ自体ではただ空である

0はこれらの性質一つだけでは表せず
0はこれらの性質を総て含んでいるが
0と表記しても真相に0は存在しない
しかも0はそれ自体ではただ空である


空とは無常であり無我であり寂静だが
空とはこれらの何れか一つでは表せず
空とはこれら空相総てを含んでいるが
空と表記してもそれは只仮名に過ぎず
しかも空とは自性にしてただ空である


これが0と空との由っている所以です


0の発見についての詩句

2010年2月17日水曜日

般若波羅蜜多心経 漢訳



般若心経の改訂漢文訳


このように わたしは聞いた


般若波羅蜜多心經

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
照見五蘊自性皆空

舎利子
色性是空 空性是色
色不異空 空不異色
是空 空是色
受想行識亦復如是

舎利子
是諸法空相
不生不滅

不垢不浄
不減不增

是故空中
無色無受想行識
無眼耳鼻舌身意
無色聲香味觸法
無眼界乃至無意識界
無無明亦無無明盡乃至無老死亦無老死盡
無苦集滅道


無智亦無得
以無所得故

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
心無罣礙 無罣礙故
無有恐怖 遠離顚倒夢想 究竟涅槃

三世諸佛 依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提

故知般若波羅蜜多
是大咒 是大明咒 是無上咒 是無等等咒
能除一切苦 眞實不虛故

說般若波羅蜜多咒 卽說咒曰
揭帝 帝 波羅帝 波羅僧帝 菩提僧莎訶

般若波羅蜜多心 經


摩訶と般若波羅蜜多心経についての詩句

2010年2月12日金曜日

般若波羅蜜多心経 訓読


般若心経の日本語書き下し文


このように わたしは聞いた


般若波羅蜜多心経

観自在菩薩は般若波羅蜜多を深めつつ行じし時
五蘊と見 その自性皆て空なると照らし出せり

舎利子よ
色は性にしてこれ空なり 空は性にしてこれ色なり
色は異ならずしてなり 空異ならずしてなり
色はすなわちこれ空なり はすなわちこれ色なり
受も想も行も識もまたまたかくのごとし

舎利子よ
これ諸法は空相なり
不生にして不滅なり
不垢にして不浄なり
不減にして不増なり

これがゆえに空の中においては
色もなく受も想も行も識もなし
眼も耳も鼻も舌も身も意もなし
色も声も香も味も触も法もなし
眼界から意識界までもなし
無明から老死までもなくまた無明尽から老死尽までもなし
苦も集も滅も道もなし

智もなくまた得もなし
もって無所得のゆえんなり

菩提薩埵は 般若波羅蜜多によるがゆえに
心に罣礙なく 罣礙なきがゆえに
恐怖あることもなく 顚倒や夢想を遠く離れて
涅槃に究竟したまえり

三世の諸仏もまた 般若波羅蜜多によるがゆえに
阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり

ゆえに般若波羅蜜多は知れり
これ大咒なり これ大明咒なり
これ無上咒なり これ無等等咒なり
よく一切の苦を除く
これ真実にして虚ならざるがゆえなり

般若波羅蜜多の咒を説く 即ちに咒を説いて曰く
掲帝 帝 波羅帝 波羅僧帝 菩提莎訶

般若波羅蜜多の心の経なり


般若心経についての詩句

2010年2月1日月曜日

般若波羅蜜多心経 和訳


般若心経の現代日本語訳と補足解説


このように わたしは聞いた


般若波羅蜜多心経


沈黙の聖者 釈迦牟尼仏陀に 礼したてまつる


観自在菩薩が 般若という智慧の完成度を深化させつつ 慈悲行を行っていたときに
この世界は何かと見たときに それは五蘊という五つの集まりであると見られました
そしてこの五蘊の自性を見たときに 照らし出されたのが 空という真理なのでした



舎利子よ
色つまり身心の自性をることで空とは何か説明しましょう
肉体とは 眼耳鼻舌身意 のことです

肉体は不変ではなく常に変化している存在です これが空です
空とはこのように常では無いことです 
れが
肉体の自性です

肉体は和合することで存在し主体はないのです これが空です
このように主体がないことです 
れが肉体の自性です

肉体にはこの様に本来固有の自性はないのです これが空です
このように自性がないことです これが
肉体の自性です

他の四蘊である受想行識も同様に無常であり無我であり実相です
これが五蘊の自性をることで照らし出された真理 空 でした


舎利子よ
次は不二をもって三つの空のすがたを説明してみましょう

時間におけるすべてのものは
生まれて来る訳でもなく 又滅して行く訳でもありません
ただ過ぎ去るだけなのです

空間におけるすべてのものは
垢であるというはずも 浄であるというはずもありません
比べるべき本がないのです

諸法におけるすべてのものは
減らすものなどは何も無く 増やすものも何もありません
ありのままに在るだけです

諸法における空相(空のすがた)とは
諸行無常 諸法無我 諸法実相 です
真実であり ありのままのすがたです


空であるとはどのようなことでしょうか
身体も無くなり心の作用も無くなり 分別も無くなるのです

身心機能(色)である 眼も耳も鼻も舌も触感も心意も無いのです
感受作用(受)である 色形も声も香も味も感覚も思いも無いのです
表象作用(想)である 眼による想念から心による想念まですべて無いのです
意志作用(行)である 順観にそして逆観による十二因縁もすべて無いのです
認識作用(識)である 悟りに到る真理つまり四聖諦(苦集滅道)も無いのです


十八界(六根 六境 六識)という分別は消えたのです
真理(十二因縁の理  四聖諦)という得も消えたのです
分別知は消え去ったのです 得る所は何もないのです

空に目覚めたときに根源的な智慧 般若 があらわれたのです

遂に 無所得無分別智 という 般若 の完成に到ったのです

空性 諸行無常 諸法無我 諸法実相 を体得することにより
一切の物事に対する執着が消えたのです これが空を生きることです


観自在菩薩としてついに般若を完成するに到ったのですこの事により
心を覆ていた我執は消え去り 執着という煩悩は吹き消されたのです
恐れも不安も消え去り 顛倒した考えも夢想の念も消え去ったのです
安らぎの境地に到ったのです そして大悲の行も完成に到ったのです


すべての諸仏も そして我々も 般若を完成するに到る事が出来れば
この上なく正しく平等な目覚めを得て生きて行くことが出来るのです


すべてのものは等しく空相であり そこにはなんの妨げもありません
彼岸に到って自在に観れば真に世界は生命にあふれ美しいものでした


般若波羅蜜多というのは言葉の分別を超えた咒なのです

大いなる咒であり 大いなる明めの咒であり
この上のない咒であり 比類なき咒なのです
すべての苦しみを除く 真実の真理なのです


ここに般若波羅蜜多心の祈りの陀羅尼を唱えます
帝 帝 波羅帝 波羅僧帝 菩提莎訶


無所得無分別智の完成に到達したこころを終わる


「この世界は美しいものだし 人間のいのちは甘美なものだ」


般若波羅蜜多心と心訳についての詩句