このように わたしは聞いた
ブッダのことば - スッタニパータ -
第五 彼岸に至る道の章
学生ピンギヤへの回答とは
そなたは見ているのだからそれ故にです
そなたは見ているのだからそれ故にとは
そなたは身をもって理法を見ているのだから
それをよりどころとして
妄執を捨て怠ることなくはげみなさいです
自灯明法灯明についての詩句
このように わたしは聞いた
ブッダのことば - スッタニパータ -
第五 彼岸に至る道の章
学生モーガラージャへの回答とは
世界を空なりと観ぜよです
空なりと観ぜよとは
自我に固執する見解をうち破ることです
自我の無所有と無常をうち破ることです
空についての詩句
このように わたしは聞いた
ブッダのことば - スッタニパータ -
第五 彼岸に至る道の章
学生ポーサーラへの回答とは
ありのままに知る智です
ありのままに知る智とは
我の存在するありさまを真理と知って
我がものはなにもないことを知って
我を望むことは執らわれであると知って
それをこのとうりであると知って
それから出て
それについてしずかに観ずることです
正見についての詩句
このように わたしは聞いた
ブッダのことば - スッタニパータ -
第五 彼岸に至る道の章
学生ウダヤへの回答とは
感覚的感受を喜ばないひとです
喜ばないとは
感受に対して妄想や思惑をいだかないことです
平静な心がまえでいて想念が広がらないように
気をるけることです
正道についての詩句
このように わたしは聞いた
ブッダのことば - スッタニパータ -
第五 彼岸に至る道の章
学生バドラーヴダへの回答とは
取る執着のある人々です
取る執着とは
死に対してこころが執らわれていることです
捨てるべき執着にかえって妄執しているのです
顛倒についての詩句
このように わたしは聞いた
ブッダのことば - スッタニパータ -
第五 彼岸に至る道の章
学生ジャトゥカンニンへの回答とは
やすらかにふるまう人です
やすらかにふるまうとは
取捨する対象が何も存在しないからです
執着する対象が何も存在しないからです
見性についての詩句
このように わたしは聞いた
ブッダのことば - スッタニパータ -
第五 彼岸に至る道の章
学生カッパへの回答とは
悪魔に伏せられないです
なぜ伏せられないかというと
我がものであるというどんな所有もなく
我に執着して所得することがないのです
ここをよりどころとしているからです
よりどころについての詩句
このように わたしは聞いた
ブッダのことば - スッタニパータ -
第五 彼岸に至る道の章
学生トーデイヤへの回答とは
願いのない人です
願いのないとは
何かを得ようと希望しないのです
何かに執着したはからいがないのです
求道についての詩句
このように わたしは聞いた
ブッダのことば - スッタニパータ -
第五 彼岸に至る道の章
学生ヘーマカへの回答とは
常に安らぎに帰しているです
安らぎに帰すとは
この世において過去に対する欲望を除き去ることです
この世において未来に対する貪りを除き去ることです
現在世についての詩句
このように わたしは聞いた
ブッダのことば - スッタニパータ -
第五 彼岸に至る道の章
学生ナンダへの回答とは
心に汚れのない人です
心の汚れとは
見解や学問や知識や戒律などです
これらもまた妄執の要素なのです
行道についての詩句
このように わたしは聞いた
ブッダのことば - スッタニパータ -
第五 彼岸に至る道の章
学生ウパシーヴァへの回答とは
滅びてしまったものです
滅びてしまったとは
捕らえることができなくなった人です
論ずるにもそのよすががないのです
無我についての詩句
このように わたしは聞いた
ブッダのことば - スッタニパータ -
第五 彼岸に至る道の章
学生ドータカへの回答とは
移りかわる生存です
移り変わる生存とは
それはすでにまのあたりにしている真理なのです
移り変わらないものなど何もありはしないのです
無常についての詩句
このように わたしは聞いた
ブッダのことば - スッタニパータ -
第五 彼岸に至る道の章
学生メッタグーへの回答とは
何ものをも所有せずです
所有しないとは
我がものとみなすことがないということです
我がものなどはどこにもないということです
無所有または無我についての詩句
このように わたしは聞いた
ブッダのことば - スッタニパータ -
第五 彼岸に至る道の章
学生プンナカへの回答とは
望むことのない人です
何を望むこたがないのかと言うと
欲望を達成しようと望むことがないのです
貪り追い求めようとしないのです
無執無着についての詩句