2008年12月21日日曜日

輪廻転生

このように わたしは聞いた

仏陀は教えを説いたとき
人々が信じていた輪廻を方便に用いた

紅蓮地獄に留まる時間は
五千兆年の一千万の千二百倍の年である

そしてさらに六道に輪廻し
人として転生するは難し

人の生は長くて百余年である
生きている間に修行を完成なさい

諸行は無常である
人も不変ではなく

我というものは無く
常に人は転生する

人は刹那に貪り怒り苦しみ
煩悩の中に輪廻転生する

朝の我は夕の我ではなく
刹那の我は刹那の我ではない

煩悩に輪廻転生する我を捨て
生あるうちに涅槃静寂に入れ

輪廻に生きるのを止め
涅槃に静まりて生きよ

輪廻についての詩句

彼岸に至る道

このように わたしは聞いた

王宮の生活を捨て
苦行の生活を捨てた

乳粥の施しを受けて
弱っていた命を回復した

どちらの生活によっても
心の平安は得られなかった

今ここにあるものは
唯一で無二の命である

今ここに生きている命こそ
唯一の尊い命である

菩提樹の木陰に座し
深い瞑想に入った

深い瞑想の中で
思索を巡らした

人はひとつの生命として
生まれ老い病いそして死んでゆく

これは実存であり
変えようもない

ままならぬことに
なぜ苦しむのか

天上天下唯我独尊と四苦についての詩句


深い瞑想の中で
思索を巡らした

この世界は何であるか
我とは何であるか

人は世界の形あるものをどの様に捉えるか
五感で感じ 心に象が表れ 心に想が表れ 心で認識する

人々は各々に各々の世界を見ている
各々の世界が各々の我の世界となる

我の世界は仮説であり実存ではない
人は世界の実存を捉えられない

我は仮説の中に生存し
我がものは実存のものではない

しかもこの世界は常に変化し
この世界に常なるものは無い

五蘊皆空と諸法無我についての詩句


深い瞑想の中で
思索を巡らした

なぜこの世に常なるものは無いのか
なぜ我がものは無いのか

この世は時の中に生存している
時は流れであり止まることがない

時が流れるときこの世も変化する
この世のものもまた止まらない

時は時と相依って変化し
時と我がものも相依って変化する

実に総てのものは相依って変化し
この世に常なるものは無い

深い瞑想の中で
思索は消えた

縁起と諸行無常と涅槃静寂についての詩句


深い瞑想の中で
思索を巡らした

人はこの縁起の理法を知らず
この世を正しく観ることができない

常ならざるものを常なるものと思い
我がものならざるものを我がものと思い

ままならぬものに執着する
執着によって苦しみと厄いが生まれる

この縁起の理法を悟り分別を離れ
今ここにある尊い命を生きるとき

いかに相依って生き
いかに相依って生かされるか

すべての他のものと心をともにし
慈しみの心より生まれる正しい行いをなし

自らに気をつけて怠らず
この慈悲の行いを続け

常に智慧を巡らし
自らに心の平安を保て

四諦八正道と般若波羅蜜多についての詩句

彼岸に至る道についての長い詩句

道の人

このように わたしは聞いた

仏陀の教えは道に喩えられる

悟りへ至りゆく道と
悟りし後でゆく道と
この二つの道は同じである

この二つの同じ悟りの道と
生きる人として生きる道と
この二つの道は同じである

ひとつの正しい道がある
この道を気をつけて歩みなさい

徒に悟りを求め嘆くよりも
この道を怠ることなく歩みなさい

この正しい道が仏陀の教えである
仏陀は道の人であった

道についての詩句

方便

のように わたしは聞いた

方便は筏に喩えられる

川を渡るとき
人はいろいろの筏を使う

川を渡り終えたとき
人は筏を打ち捨てる

仏陀は答えなかった
生命の誕生について死後と魂について
世界の生い立ちと広がりについて

仏陀は認めなかった
祭祀と呪文と供儀と占い
苦行と迷信と俗信

仏陀は方便をもって説いた
苦をのぞき安心を与え
彼岸に行くために

神と悪魔と業と輪廻転生
諸々の如来と菩薩
浄土と念仏と題目と真言
悉有仏性と悪人正儀
本地垂迹と現世利益

方便についての詩句

経糸

このように わたしは聞いた

悟りは悟りがたく説きがたし

安心を与え喜ばすために
方便をもって説く

民族衣装の文様は
時と場所によって異なる

文様は横糸によって作られるが
文様の経糸はみな同じである

民族衣装に優劣はなく
文様に優劣はない

文様は民族によって守られ
経糸は文様の中で引き継がれる

真理は経糸である
真理は方便の中で引き継がれる

方便は時と場所によって異なり
方便に優劣はない

方便は悟りがたく説きがたし

経糸についての詩句

仏陀最後の言葉

仏陀の悟り 仏陀の教え

そこで尊師は修行僧たちに告げた。ー
「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう。
『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』
 と。」
これが修行をつづけて来た者の最後のことばであった。
 (大パリニッバーナ経)中村元訳 より

修行僧たちとは、仏陀を敬う人たちである。

『もろもろの事象は過ぎ去るものである』とは、仏陀の悟りである。
無常が仏陀の悟りであった。
悟りとは、この世の正しい見方であり真理のすがたである。

『怠ることなく修行を完成なさい』とは、仏陀の教えである。
それは人が正しく生きて行くための教えである。
教えとは、怠りなく続けて行かなければならないものである。

修行をつづけて来た者とは、仏陀が修行完成者ではなくひとりの人であり。
最後のことばであったとは、二度と声を聞くことのできない無常である。

ブッダ最後の旅 臨終のことば

『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』

人のいる場所

このように わたしは聞いた

過去とは過ぎ去ったものである
未来とは未だ来ぬものである

過去を思い未来を思っているのも今である
真にあるのは今だけである

今は無限の過去より来て無限の未来に去って行く
今は無限の今に生かされている

徒に過去に捕らわれず徒に未来に浸ることなく
ひたすらに今を生きる

なすべきことをなし今を忘れ
ただ今に生きる

今について詩句

真言密教

三密とは

この世で日々を生きるとき
身には仏の行いを表し
口には仏の真なる言葉を発し
意には仏の智慧と慈悲を持するとき
即ち自身をして即ち仏なり

南無大師遍照金剛

龍樹

中論に説いて曰く

縁起とは
仏陀の悟りし真理なり
真理にして即ち相依の理法なり
相依の理法にして即ち中道なり
中道にして即ち無自性なり
無自性にして即ち空なり
空にして即ち縁起なり
縁起を見るもの
常は無くして即ち常は一切なり
我は無くして即ち我は一切なり
輪廻は即ち涅槃なり
ままならずして即ちあるがままなり
空を見るものは即ち空を見ないものなり
顚倒を見るものは即ち仏陀を見るものなり

縁起の理を説きし仏陀に敬礼す

歎異抄

本願他力とは

煩悩尽きることなき凡夫なれど
ひたすら阿弥陀仏を信心念仏せば
極楽浄土に成仏せられ安心なり
この時穢土においても執着をはなれ心安らげり
これみな阿弥陀仏の他力回向なり

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

2008年12月20日土曜日

観音経

念彼観音力とは

発菩提心なり
すべてに対して
素直に真直ぐにあるがままに
慈しみと哀れみの心をもって
いつとなるとき

まさにこれ観世音なり

妙法蓮華経

方便という方便にて

仏性あると聞きても苦厄に執われ信じ難く
仏に成れると聞きてもこれ信じ難し
されど煩悩あるが故に仏を敬い求め
慈悲の心をもって悟りの道を行き
遂に仏となりて光の中に座す

無上のさとりなり


般若心経

真に悟りを求むるに

観自在の慈悲にて
刹那を生きて
観自在の智慧にて
刹那に悟り目覚めて
空と観る

観自在菩薩行

妙法蓮華経

蓮華とは

すべてに仏性あるを知り
真理を求め悟りし者はこれ仏なり
苦厄にあふれしこの世も気付きて観れば
たちまちにしてすべてがあるがままに輝けり
今はただ菩薩の道を生き行かん

もとより娑婆世界は釈迦牟尼仏の仏国土なり

般若心経

真に悟りてやすらぎて

空なることを悟り
すべての縁に執われず
真にやすらぎ
すべての縁とともに
空に帰る

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶