2012年4月11日水曜日

第三章


ブッタ最後の旅
ー 大パリニッバーナ経 ー 

中村元 訳

愛しく気に入っているすべての人々も、やがては、生別し、死別し、異にするに至る。

もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠たることなく修行を完成なさい。

 このように わたしは聞いた

この世にはどんなに愛しく気に入っていても、我がものと言えるようなものは何ひとつありません。
この世の出来事や事柄は、ただひたすらに過ぎ去るものです。これは時の真理です。

常に、怠ることなく想いの広がりに気をつけて、その自己を守り、たよりとなさい。



2012年4月10日火曜日

第二章

ブッタ最後の旅
ー 大パリニッバーナ経 ー

 中村元 訳

わたくしは内外の隔てなしにことごとく理法を説いた。完(まった)き人の教えには、何かを弟子に隠すような教師の握り拳は、存在しない。

「わたくしは修行僧のなかまを導くであろう」とか、あるいは「修行僧のなかまはわたくしに頼っている」とか思う事がない。

一切の想をこころにとどめることなく一部の感受を滅ぼしたことによって、相の無い心の統一に入ってとどまるとき、かれの身体は健全なのである。

故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず。法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。

 このように わたしは聞いた

完き人は隔てなく理法を説くだけであり。
他に教えや何かを説くと言うことは無い。

故にこの世において他人や知識や学問などに頼ることなく、理法によって、また自らが一切の想念を滅ぼしたことによって。
自らが無想の念にとどまるときこそ、自らに健やかなのです。このときの自らを島とし、このときの自らをたよりとなさい。

第一章

ブッタ最後の旅
ー 大パリニッバーナ経 ー

 中村元 訳

沼地に触れないで、橋をかけて、(広く深い)海や湖を渡る人々もある。(木切れや蔓草を)結びつけて筏をつくって渡る人々もある。
聡明な人々は、すでに渡り終わっている。

 このように わたしは聞いた

(宗教儀式や祈祷や苦行などの)「方法」に頼る事なく
智慧に依ってこそ速やかに彼岸に渡ることが出来る。