2016年9月20日火曜日
般若波羅蜜多心経 色と空
色性是空 空性是色
色不異空 空不異色
色即是空 空即是色
肉体はそもそも空であり 空なるものとは肉体そのもののことです
肉体と空は異なるものでなく 空なるものとは肉体に他なりません
肉体はそのままで空であり 空なるものとはその儘の肉体なのです
諸行無常 不生不滅
諸法無我 不垢不浄
諸法実相 不減不増
肉体は常に変化し過ぎ去って行く 空であり すがたの顕に過ぎません
肉体は集まりに過ぎず 空であり 汚れとか清らかだとかはありません
肉体はそのまますべてが 空であり ただあるがままの姿に過ぎません
般若波羅蜜多心経 色と空
2015年4月7日火曜日
般若波羅蜜多心経 智慧
般若波羅蜜多心経 智慧の完成
沈黙の聖者 釈迦牟尼仏陀に 礼し奉る
智慧の完成
慈悲深き観音様は 智慧とは何かと考えられていた
知とは考えることにより 考えることは想いにより
想いは感じることにより 感じるとは身心によると
そこでそれぞれがもつ 本質とは何かと観察された
身心とは感覚のもと五感と感情のもと心のことです
身心は常に変化していて そこに実体はなく
身心は和合しているが そこには主体はない
このように身心には さだまった自性はなく
感受想念思考知恵にも 実体主体自性はない
そこでこの本質のことを 空と名付けられた
すべてのものは 空のすがたの現れなのだから
過ぎ去るだけで 生まれるでも滅するでもなく
我がないので 垢であるでも淨であるでもなく
ありのままで 減らすべきも増やすべきもない
諸行は無常であり 諸法は無我であり実相です
このようにして ありのままにすがたを観るとき
身心は無くなり 感受は無くなり想念は無くなり
思考は無くなり ついに知恵も無くなったのです
得るものも無くなり 執らわれがなくなったとき
ここに 般若波羅蜜多心 智慧は完成したのです
観音様は 般若波羅蜜多心 智慧の完成によって
妄想すること莫く 今をありのままに観たのです
三世諸仏も智慧の完成によって 生命にあふれた
美しいこの世界を ただありのままに観たのです
智慧の完成は 真実にして此上なく比類なく
言葉では表せない 意味の無い言葉咒として
智慧の完成は このように説かれたのでした
般若波羅蜜多心経 智慧の完成
2015年3月27日金曜日
般若波羅蜜多心経 構成
般若心経の構成
このように わたしは聞いた
観自在菩薩〜亦復如是
五蘊自性皆空
この世界を構成するものには 実体はなく 主体もなく 自性もないのです
舎利子是諸法空相〜不減不増
無一物中無尽蔵
すべては無常であり すべては無我です だからこそすべては実相なのです
是故空中〜無所得故
無心 無所得無分別智
すべてが無いとは 知恵もなく 理法もなく 得るものなど何もないのです
菩提薩埵〜三菩提
莫妄想
妄想すること莫れ 般若によりてすべての 今をありのままに観るのです
故知般若〜不虚故
般若波羅蜜多
般若とは 分別では表わせない真実の智慧であり それは陀羅尼なのです
説般若〜菩提僧莎訶
廓然無聖
般若の完成において この世界は美しいものだし 命は甘美なものです
般若波羅蜜多心経の構成と構文についての詩句
2014年6月23日月曜日
般若波羅蜜多心経 色空空色
般若心経の自性と色性是空空性是色
このように わたしは聞いた
照見五蘊自性皆空
照 見 五蘊 自性 皆空
五蘊の本性を見ることで照らし出された真理が 空 です
色性是空 空性是色
色不異空 空不異色
色即是空 空即是色
色性 是空 空性 是色
色不異 空 空不異 色
色即 是空 空即 是色
色は性にしてこれ空なり 空は性にしてこれ色なり
色は異ならずして空なり 空は異ならずして色なり
色はすなわちこれ空なり 空はすなわちこれ色なり
色は本性にしてこれ空なり 空は本性にしてこれ色なり
色は離れずしてこれ空なり 空は離れずしてこれ色なり
色はそのままでこれ空なり 空はそのままでこれ色なり
色 形あるものは 常に変化していて常住でないという真理
色 形あるものは 互いに関わり合うことで存在しています
空 空の原意は 「なにもない状態」「からっぽの状態」0
色は不変でなく常に変化し実体がないのです これが空です
空とはこのように実体がないことです これが色の本性です
空とはこのように主体がないことです これが色の本性です
空とはこのように自性がないことです これが色の本性です
色の本性を見ることで照らし出された真理 それが 空です
真実としての 無常 過ぎ去るだけです実体はないのです
存在としての 無我 和合しているので主体はないのです
実践としての 実相 あるがままにあり自性はないのです
諸行無常 不生不滅
諸法無我 不垢不浄
諸法実相 不減不増
色性是空 空性是色
色不異空 空不異色
色即是空 空即是色
色空と空色についての詩句
2012年4月11日水曜日
2012年4月10日火曜日
第二章
ブッタ最後の旅
ー 大パリニッバーナ経 ー
中村元 訳
わたくしは内外の隔てなしにことごとく理法を説いた。完(まった)き人の教えには、何かを弟子に隠すような教師の握り拳は、存在しない。
「わたくしは修行僧のなかまを導くであろう」とか、あるいは「修行僧のなかまはわたくしに頼っている」とか思う事がない。
一切の想をこころにとどめることなく一部の感受を滅ぼしたことによって、相の無い心の統一に入ってとどまるとき、かれの身体は健全なのである。
故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず。法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。
このように わたしは聞いた
完き人は隔てなく理法を説くだけであり。
他に教えや何かを説くと言うことは無い。
故にこの世において他人や知識や学問などに頼ることなく、理法によって、また自らが一切の想念を滅ぼしたことによって。
自らが無想の念にとどまるときこそ、自らに健やかなのです。このときの自らを島とし、このときの自らをたよりとなさい。
2011年5月30日月曜日
蛇
このように わたしは聞いた
ブッダのことば - スッタニパータ -
第一 蛇の章
怒りは蛇の毒が身体のすみずみにひろがるようにして起り
愛欲は池に生える蓮華のように根は水中へと繋がっている
妄執は奔り流れる水流のように涸れる事も尽きる事もなく
驕慢は激流に架かる葦の橋のように弱々しくこわれやすい
どこを探しても堅固なもの常なるものは元からありません
我について願望をいだいても我がものは一つもありません
想念がすべて消え去さるとこころの内は静まっていきます
すべての妄想をのり超えることが中道へ到ることなのです
中道によって世間における一切のものは虚妄となるのです
中道に到ると貪愛欲憎悪迷妄を離れることができるのです
悪根と煩悩と妄執から生ずるものが蓋と苦悩の矢なのです
これらを捨て悩みなく疑惑を超えこれを抜き去ることとは
たとえば蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなもなのです
この世とかかの世だとかとの想いも消え去ってしまいます
蛇についての詩句
2011年4月21日木曜日
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