般若波羅蜜多心経 智慧
般若波羅蜜多心経 智慧の完成
沈黙の聖者 釈迦牟尼仏陀に 礼し奉る
智慧の完成
慈悲深き観音様は 智慧とは何かと考えられていた
知とは考えることにより 考えることは想いにより
想いは感じることにより 感じるとは身心によると
そこでそれぞれがもつ 本質とは何かと観察された
身心とは感覚のもと五感と感情のもと心のことです
身心は常に変化していて そこに実体はなく
身心は和合しているが そこには主体はない
このように身心には さだまった自性はなく
感受想念思考知恵にも 実体主体自性はない
そこでこの本質のことを 空と名付けられた
すべてのものは 空のすがたの現れなのだから
過ぎ去るだけで 生まれるでも滅するでもなく
我がないので 垢であるでも淨であるでもなく
ありのままで 減らすべきも増やすべきもない
諸行は無常であり 諸法は無我であり実相です
このようにして ありのままにすがたを観るとき
身心は無くなり 感受は無くなり想念は無くなり
思考は無くなり ついに知恵も無くなったのです
得るものも無くなり 執らわれがなくなったとき
ここに 般若波羅蜜多心 智慧は完成したのです
観音様は 般若波羅蜜多心 智慧の完成によって
妄想すること莫く 今をありのままに観たのです
三世諸仏も智慧の完成によって 生命にあふれた
美しいこの世界を ただありのままに観たのです
智慧の完成は 真実にして此上なく比類なく
言葉では表せない 意味の無い言葉咒として
智慧の完成は このように説かれたのでした
般若波羅蜜多心経 智慧の完成
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